二重マスク
ふーん・・・。
なるほどね。
マスクを二枚かける、いわゆる「二重マスク」は、
科学的な根拠はそれほどないと言われていますが、
実際は、たくさんのメッセージを周囲に発信することができます。
一枚目 不織布マスク(使い捨てマスク)
「私はルールを守ります。不織布の方が感染リスクを下げられると誰かが言っていました。その人に従います。私は従う人です。自分中心ではありません。お店に入る時にも、その店で働いておられる皆さんや、周りのお客さんの気持ちを配慮し、尊敬したいと思います。なるべく衛生的な安心感を周りの皆さんに持っていただきたいと思います。汚れたらすぐに捨てます。ケチケチしません。しょっちゅう取り替えています。衛生と安心とに、「もったいない」はありません。」
二枚目 布マスク(繰り返し洗い可能)
「そうかといって、何でもバンバン捨ててしまうほど、無駄遣いはしません。環境保全や、SDGsにも関心があります。何でもかんでも、新しいものをというのは、地球規模の環境問題につながってしまいます。前にも申し上げましたが、繰り返し、しばしば洗うほど衛生と安心感を大事にしています。また、私は、自分らしさも大切にします。布マスクは、長く使うので、こういうのが自分には似合っているかな?色やデザイン。また、大切な家族やお友達にいただいたので、プレゼントしてくれた方の気持ちを大切にしていきます。」
二枚合わせて
「私はあなたを大事にしています。あなたに、なるべく悪い病気をうつしたくありません。」
(・・・そしてちいさな声で)
「私はあなたから、悪い病気をうつされたくもないのです。」
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(Ⅰサムエル16章7節)
当教会お越しの際には、どちらか片方でもけっこうです。
しかし、どうぞマスクの着用をお願いします。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
屋根裏のろうそく
その午後は、屋根裏の物置をゴソゴソすることになった。
クリスマスの準備が始まる。
ふと気がつくと、見慣れない古ぼけた箱が出てきた。
開けてみると、中には使いかけのろうそくに混じって、
一本だけ、新品のオシャレなろうそくが入っていた。
「なんだ。あるじゃないか。今年のクリスマスは、
新品のろうそくを買わなくていいのかな。」
すると、そのとき、声が聞こえてきた。
「待って。お願いだから、ボクをここから出さないで。」 ん?なんだ。
「だから、ボクをここから出さないでって。前の人にも言ったと思うんだけど・・・。」
しゃ・・しゃべった。ろ・・・ろうそくが・・・。
「ボクはまだ準備ができていないんだ。それなのに、急に頭に火をつけられたら、たまったものじゃない。お願いだから、この箱から出さないで。ボクはまだ準備ができていない。だって、まだ「明るい光ベスト12」を途中までしか読んでいないし、
「防風学序論」も読んでいないんだ。「だれでもできる赤い炎」は、もう少しだけどね。」
「キミはろうそくだろう? クリスマスには、ろうそくが必要なんだよ。」
少しムキになって、話していた。「ろうそくのくせに、生意気だな。」
「そんなこと言ったって、この間、『キャンプに持って行くんだ』と言って、キミが持ち出したあの先輩は、つけたとたんに、消えてしまったそうじゃないか。あんなみじめな終わり方をしたくないんだ。もっと長く、美しい炎を保っていたいんだ。そのためには、まだまだボクは、半人前だね。」
「いや、あの時は、急に夕立に遭って、しかたなかったんだ。」
「それなら、ボクの代わりに、あの「緊急持出袋」の中に入れたおじいさんを使いなよ。あのおじいさんは、15年前にあの袋に入れられて以来、一度も外に出たことがないそうだよ。だいたいボクは、LEDのように長持ちをしない。カメラのストロボのように、輝く光がない。蛍光灯のように、全体を明るくすることもできない。そうだよ。そろそろわかっただろう?ボクには、光る賜物がないんだよ。」
「いいかい?キミの気持ちはよくわかったよ。でも、キミの頭に火をつけてみなきゃ、わからないことじゃないか。今年のクリスマスは、キミの暖かい本物の光が必要なんだ。できないことじゃなくて、できることを頼んでいるんだよ。やってみなければ、わからないじゃないか。」
気がつくと、ろうそくを包んでいた包装紙が、なぜか少しだけ水でふやけていた。
「誰もボクのことを頼りにしないんだ。
ボクが上手にできないからだ。・・・・。」
「今年のクリスマスは、特別なクリスマスなんだよ。きっとみんなは、本物の光が見たいと思っているだろう。みんなキミの本当の光を待っているんだよ。うちの奥さんなら、キッチンのカウンターに置いて、ずっとキミのことを眺めているだろう。今年こそ、本物の暖かい光が必要なんだよ。」
「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。」 (マタイ5章14節から15節)
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
関口様
関口様。
毎年、道路沿いの市民農園をご利用いただき、心より感謝申し上げます。
毎年、「関口様」と書かれた札のあたりにできる作物の生長を、
通るたびに、楽しみにしておりました。
残念ながら、この夏以来、あなたがこの農園を訪れることがなく、
植えられた作物は、それっきりになっています。
ナスやきゅうりは、地面に落ち、
ミニトマトは、赤いじゅうたんになっています。
こんな時代ですから、もしかすると、外出を控えておられるのかもしれません。
もしかすると(そして、いちばん心配していることですが)
どこか具合を悪くされて、畑に出るどころではないのかもしれません。
しかし、もしあなたが途中で諦めてしまっていたとしたら、
「そんなことより、仕事の方が忙しくって」
「子育てで、それどこじゃなくて」
「もっとヒマになってからでも・・・。」
せっかく始めたことなのに、肝心の最後の最後であきらめるなんて
もったいない。
今はしんどくても、最後の最後に大きな収穫があるのに、
ここで、あきらめるなんて
ここまで来たのに、投げ出すなんて
もったいない。
「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」
(ヨハネによる福音書4章35節)
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
名前を呼ぼう
その犬は、近所の人たちに愛されています。
道行く人の人気者です。
散歩で通りかかる人が、名前を呼ぶと、
「キャン」とかわいく鳴いて、
くるりと輪をかき、
ニコッと笑う(ような気がする)のだそうです。
問題が一つあります。
それは、その犬の名前を誰も知らないことです。
「ポチ!」「コタロウ!」「ミント!」「ホキイチ!」
どんな名前で呼んでも、
「キャン」とかわいく鳴いて、
くるりと輪をかき、
ニコッと笑う(ような気がする)のだそうです。
愛好家は言います。
「かわいそうに。管理者がちゃんと名前を表示してあげればいいのに。」
でも、その犬には関係ありません。
とにかく、誰かが、自分に声をかけてくれるのが、うれしいようです。
自分が回ることで、喜んでくれるのが、うれしいようです。
父なる神様は、あなたを忘れない。
「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの。」(イザヤ書43章1節)
今日も、どこかで、あなたの名前が呼ばれる。
病院の待合室で、学校の教室で、ラーメン屋の行列で。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
「通学路」?
最近、わけあって、ウォーキングを始めました。
「ウォーキング」って言ったって、そんなスポーツ的な感じではなく、
むしろ、住宅街の中をウロウロする程度。
近所をさまよう途中で、「通学路」なる部分に差しかかることがあります。
おそらく、近所の小中学生が、毎朝それぞれの学校へと通う道。
いつもは、車で通り過ぎてしまうけれど、
ウォーキングのおかげで、そこを歩いてみることに。
・・・・「路」って・・・
これは「道」ではないな。
自動車が通る道のその脇に、下水道があり、
その下水の蓋の上が、その「通学路」
なかには壊れている部分もたくさんあって、
バッコンバッコン音がする部分や
大人の私の足ならなんとかなるけれど、
小さな子供の足なら、はまってしまいそうな穴があったり。
教会に来るたびに、ちょっと元気いっぱいで
何かを壊して帰っていたあの男の子も、
小学生なのに、モデルさんみたいな
ステキな洋服を着飾ってきたあの女の子も
みんな、この下水の蓋の上を毎日歩いていたんだな。
何だか、もうしわけない。
「あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37篇5節)
たとえ、今のあなたの歩いている道が
どんな道でも、きっと神様は守って下さる。
そして、いつかは、喜びでいっぱいにしてくださる。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
彼のために
彼は、手洗いうがいをしなかったのだろうか。
ドアノブ、手すりを触った手で、口をぬぐったのだろうか。
彼は「行ってはいけない」と言われていたお店に出入りしたのか。
行くのをやめろと言われた場所に、どうしても用事があったのか。
売ってもいないマスクをしないで人混みの中に入っていったのか。
それとも、誰かのせいで、こんなことになったのか。
「あんなことをしなければ・・・。」
「こんなことをしなければ・・・。」
親の心の中にも、誰にも取り返しのつかない後悔ばかりが浮かんでくる。
・・・そんなことのために、この子は生まれたんじゃないのに。
「そんなこと、言われたって・・。なぁ!」
イエスは肩を抱くように、その人に話しかけた。
「この人に神のわざが現れるためです。」(ヨハネの福音書9章3節)
病気には、きっと原因はあるけれど、その多くは誰にも答えがないもの。
もし、これを読んでいるあなたが、病気にかかっているとしたら、
ひとつのことだけは、それは確か。きっとそれはあなたのせいじゃない。
神をひたすら信じる人も
神を徹底的に否定する人も
同じような病に倒れることがある。
今日のあなたが、空を見上げることができますように。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
冷たいひざ
寒い日が続きます。
ちょっと手を伸ばして
さわってみてください。
・・ホラね。
ヒザってとっても冷たいでしょ?
そりゃそうだ。
あまり血の通っていない場所で
(きっと大事な血管は、どこか別の所を通っている)
朝から晩まで立ったり座ったり、働きづめで
全部の責任を一身に受けて。
胃袋ほどのご褒美はもらえず、
肺ほどに新しい力も与えられず
脳ほどに大事にされず。
そうかといって
ふくらはぎから「しっかりせぇよ」と突き上げられ、
腰から「おまえしだいだからな」と脅される。
「主よ。あなたは私を探り知っておられます。
あなたは私の座るのも立つのも知っておられ、遠くから私の思いを読み取られます。」
(詩篇139篇1節と2節)
いやいや、毎日ご苦労様です。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
ダンスをしよう
4歳のタケヒロは、イスに座って、ニコニコ笑っていた。
幸せいっぱいの顔。
「たくさん食べた?もう、おなかいっぱいでしょう?何これ?」
お母さんは、わらいながらタケヒロのおなかを撫でた。
「たくさん 食べた。野菜もぜんぶ。」
できるだけ大きな声で答えた。
「じゃあ、もうおやすみの時間ね。」
「ええ?だって、今日はクリスマスイブでしょう。クリスマスイブには、
ダンスをしてくれるって言ってたじゃない?」
「そうね。そういう約束だったわね。」
タケヒロは、お母さんのスマホを取り上げると、すぐにその音楽を探し当てた。
保育園の運動会でやった「親子ダンス」の曲だった。
タケヒロとお母さんは、ふたりで踊った。
タケヒロのお父さんは、タケヒロが生まれるずいぶん前にこの部屋を出て行った。
ひとりでタケヒロを育てるお母さんに年末年始の休みはない。
クリスマスイブだけ、なんとかパートの休みをもらってきた。
クリスマスイブ。
タケヒロとお母さん。ふたりだけの親子ダンス。
「永遠に続いて・・この時間・・・。」
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。」
(ルカの福音書2章6節)
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
いっしょに歩く
あれ?ここは・・・どこだ?
気がつけば知らない町。
ここがゴールだと自信を持ってやってきたけど。
手元の地図はここだと指しているけど
見たことのない風景。
予想もしない町並み。
都心で地下鉄を利用したことのある人なら
誰でも一度は経験したことがあるでしょう。
地上に上がってみて
あれ?ここは・・・どこだ?
他の人は自信を持って歩いているけど
私だけが目的のない旅をする彷徨い人。
似たような人が、話しかけてくる。
「すみません。○○はどこでしょうか?」
「それ、実は、私も迷っているところなんです。
いっしょにまいりましょうか。あっちですかね。」
あれ? 勇気100倍。
そうこうするうちに、目的地にたどり着く。
着いたとたんに、ものすごいスピードで知らない他人に戻る。
いっしょに歩けるって、すばらしい。
「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。」
ルカの福音書24章15節
人生のある時に、あなたも出会うでしょう。
他の人は自信を持って歩いているけど
あなただけが戸惑う時間。
そんな時に、神様はあなたと一緒に歩いて下さいます。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
午前4時のスケッチ
年に一度ぐらい、どこかにお泊まりにいくことをお勧めします。
新しい自分に出会ったり、本当の自分を見つけたりします。
教会でも、若い人たちや子供たちを中心に、
お泊まり会やキャンプ(テントを張るのではなく、施設を利用して)をします。
詳しくはお尋ね下さい。
そんなお泊まり会やキャンプを企画するようになって、しばらく経ちます。
ある時に、友人とこんな話をしました。
「午前3時まで起きている子供は悪い子で、午前4時から起きている子は良い子元気な子」
もちろんいいか悪いかなんて、その子によるし、
何を基準にいいか悪いかを決めるのも、ちょっとどうかと思います。
でも、言いたかったのは、たった1時間でイメージが変わるよねという話でした。
午前3時まで駐車場でスマホいじっているより、
午前4時に起きてサッカーをしている方が。
午前3時まで暗がりでヒソヒソ話しているよりは、
午前4時に起きてギターを抱えて歌っている方が。
(・・・オイオイ)
違い?たった1時間の違いではなく、その前の暗い時間の使い方。
暗い時間を寝て過ごしているか、何かしているかの違い。
あなたの人生にも、きっと暗い時間があるでしょう。
その時間の使い方が、その後の印象を左右します。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。」
(詩篇55篇22節)
年に一度ぐらい、お泊まりに行くことをお勧めします。
かき氷
・・・暑いなぁ。
・・・暑い・・。
かき氷食べたいな・・。
毎年、思うことだけど、
どうして、この間まで「寒い、寒い。」と言っていたのに、
今は「暑い、暑い。」と、うめいている。
あの時のあの寒い空気を、そのまま取り置いて、
この暑い今に届ける科学技術を誰か知らないのだろうか。
かき氷の元になる「天然氷」を作る人たち。
まだ寒い冬の間に、池にきれいな水を貯めて、
ゆっくりと氷を作る。
マイナス5度くらいの寒さの中で
ゆっくりと氷を作る。
でも、頭の中は、きっと真夏の熱い日差しだろう。
「この夏もきっと暑くなるだろうな。」
「時が来ると、実を結び、
その葉は枯れず、
そのなすことはすべて栄える。」(詩篇1篇3節)
今のあなたが、どんなに寒くても、
今のあなたが、どんなに暑くても、
きっと、その先に、何かが変わる。
その時のために、今を備えよう。
・・・かき氷・・・。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
目覚まし時計
押し入れの段ボールの中から、ずいぶん古い目覚まし時計が出てきました。
ずいぶん古いものですよ。
ゼンマイ式で動くもの。
最近のものと違って、爽やかな音で、朝を迎えさせてくれるものではない。
いろいろな音が選べることはない。
CDも鳴らないし、ラジオも鳴らない。
なんなら、正確な時間すらも教えてくれない。(3分から5分なぜかズレる)。
ただ、最新鋭の目覚まし時計に比べて、比類なき長所があります。
それは、「針の部分に蛍光塗料が塗ってあり、
真っ暗な中でもボンヤリと、だいたいの時間がわかる」こと。
電池も要らず、充電も要らないので、
どんな暗闇でも、どんなに電力がなくても
ボンヤリ時間を教えてくれるところです。
(言っておくけど、正確じゃあない。)
こんな人がいたら、いいのにな。
「あの人がいるとさ、真っ暗で沈鬱なムードが明るくなるよね。」
「何がどうなるわけじゃないけど、あの人がいるといいよね。」
「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」
マタイによる福音書5章14節
明るく生きよう。
何かができなくたって、かまわない。
明るく生きようよ。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
あじさいの花
「セイヨウアジサイ」
原産地は日本だけど、観賞用にヨーロッパで品種改良されたので
「セイヨウアジサイ」
・・・・・だって。
どんな経緯で、こんなに狭い日本に生まれたのか。
どんな経緯で、あんなに広いヨーロッパに渡っていったのか。
どんな経緯で、「やっぱりこれじゃあねぇ・・・。」と言われるようになったのか。
どんな経緯で、「よし!品種改良しよう!」になったのか。
どんな経緯で、やっぱり日本に帰ってきたのか。
どんな経緯で、せっかく帰ってきた日本で「セイヨウアジサイ」と呼ばれるようになったのか。
そんな経緯は、まったくわからないけれど
「ずいぶん前から、ここにいるよ。」とばかりに
目の前で、ずしりと咲いているよ。
遠い昔の苦労はあるけれど、
それはそれでいいじゃない。
今は、立派に咲いている。
そして、みんなも喜んでいる。
今は、ここにいることにしようよ。
咲くかどうかはわからないけど、
今を大事に生きていこう。
「ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、
今は・・・・あわれみを受けている。」
(ローマ人への手紙11章30節)
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
魔法の言葉
「何でもできるようになる魔法の言葉」?
それなら、聞いたことがあるよ。
いやいや、ホントだよ。
うそじゃないって。
「あきらめなければ、夢はかなう。」ではない。
「努力と根性があれば、何でもできる。」でもない。
「やってやれないことはない。」でもない。
「とりあえずやってみて、ダメならその時。」
たしかに、考えたよ。
「やってダメだったら、ダメじゃないの?」
でも、世の中って、けっこうそれでいいんじゃないの?
やりもしない前から、できないと思い込む。
誰かに何を言われるのか、恐ろしくてやらない。
失敗を恐れて、初めからあきらめる。
あなたにも、神様は助けと励ましを与えてくれる。
あなたにも、神様が勇気と希望を与えてくれる。
「とりあえずやってみて、ダメならその時」
それなら、何でもできるだろう。
「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、
その人は、だれにでも惜しげなく、
とがめることなくお与えになる神に願いなさい。
そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ書1章5節)
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
たったひとつ
たったひとつ、とてもうれしいことに気づいたんだ。
たったひとつだけだよ。
それは、今まで、とてもすてきな「隣人」に囲まれてきたことに気づいたんだ。
2Fのお姉さんは、大音量で同じ曲をエンドレスでかける人だったが、
会うたびに、そのアパートでは一番の笑顔で挨拶してくれる明るいお姉さんだった。
信じる信仰は全く違うのに、
となりのおばさんは、毎年うまい漬物をわけてくれた。
となりのおじさんは、うちの娘ではなく、
「私に」「キャッチボールしよう」と誘ってくれた。
引っ越すたびに、いろいろな隣人に出会う。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
レビ記19章18節
ん? でも、ちょっと待って。
「あなた自身のように」
これが、意外にむずかしい。
二度と立ち上がれないと思うほど心が傷ついた時に
取り返しがつかないと思うほど大きな失敗をした時に
誰も結局は助けてくれないと思うほど、あきらめてしまった時に
自分をたいせつにしよう。
あなたは、まずあなたを守ろう。
そうしていくうちに、
すてきな隣人に囲まれていることに、いつか気がつくよ。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
新しい道へ
もう、どこからも卒業しなくなって、どれくらいが経つんだろう。
「来賓の祝辞」や「卒業祝いの色紙」と関係がなくなって、
どれくらいが経つんだろう。
申し訳ないけど、「校長先生の式辞」で、覚えているものはひとつもない。
覚えていることと言えば・・・
学校の校舎が違って見えたこと。
いろいろあった担任の先生と、別れる段になって寂しくなったこと。
同じ学校に進学するけど、その友達関係が、ちょっと違うんだと思い始めたこと。
何からも卒業しなくなってしばらく経つと、「卒業できる」って
うらやましかったり、まぶしかったり。
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、
キリストとともに葬られたのです。
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、
私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
ローマ人への手紙6章4節
「私たちも、いのちにあって新しい歩みをする」
明日から、あなたも新しい人生を歩めるよ。
明日からのあなたは、今日のあなたと全く違うよ。
明日にはまったく新しいあなたが、あなたを待っているよ。
・・・・あいつ、今ごろ、どこで何をしているのかな。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
特別な日
「あの・・自分・・・帰ります。お先に失礼します!」
(・・・おお・・言ったよ・・。)
タケルの周囲に、音にはならないざわめきがひろがった。
タケルの職場は、地下鉄の駅から歩いて3分の小さなビルにある広告制作会社。
毎日、残業が続いていた。別にそれほど仕事が立て込んでいるわけではないが、
「あの人が帰らないのに、私が帰るわけにはいかない。」
「この人が帰らないのだから、自分も残るべきだ。」
そんな居心地の悪い時間が夜の9時頃まで支配していた。
でも今日はタケルにとって、特別な日だ。
365分の1の確率で、誰にでもやってくる特別な日。
誕生日。
タケルが「タケル」を歩き始めた日。
カノジョが祝ってくれるわけではなく、
両親は、ふるさと遠く離れて住んでいる。でも・・・
「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」
詩篇139篇16節
(今日ぐらい、定時に帰ってやる!)
あなたにも、きっとやってくる特別な日。
・・・あなたがいてよかった。
神様は、その日からずっと、あなたといっしょに歩くことに決めた。
「・・お・・おつかれぇ・・」
出入り口のいちばん近くに座っていたコウヘイが、背中越しにタケルを送り出した。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
愛を着ける
たぶん、こういうことなんじゃないかと思い始めています。
私は、「羽織るもの」という洋服を、きっと5段階で持っているのだと思います。
レベル1:夏の雨の日など、ちょっと肌寒い時に羽織るもの
レベル2:秋風が吹いてきて、そろそろ寒い頃に羽織るもの
レベル3:「ウルトラ」に「ライト」な「ダウンジャケット」
(今住んでいる場所では、きっとここまでで終わり)
レベル4:雪国の秋から初冬にかけて羽織るもの
レベル5:雪国の厳冬期に羽織るもの
時に応じて、場所に応じて、
風の冷たさに応じて、空気の「しばれ具合」に応じて。
これは着るけど、あれは着ない。
あれを着るぐらいのところでは
こちらは、ただのシャツにも似たり。
聖書の中に、こんな言葉が書いてあります。
「これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」
(コロサイ3:14)
愛を「着けなさい」・・・
ということは、愛は、着けたり、はずしたりできるって・・
「私はなんて愛のない人間なんだろう!」
「どうしてもっと愛せないんだろう!」
いいんじゃないですか?いつもレベル5だったら、疲れちゃう。
「今日は、レベル2ぐらいの愛を着けていこう。」
「よし!今日はたいせつな日だ。レベル4、うーん、レベル5の愛でいくぞ。」
時や場合や人に応じて、それぞれ着けたりはずしたりで・・。
・・・今気がついたんですけど、私の洋服ダンスの「羽織るもの」
「オシャレな」は、ひとつもない・・・。
December 1998
夜通し降り積もった雪は、朝には膝の高さまでになっている。
車社会ではあるけれど、なかには歩く人もいる。
しかし、こうなると、さすがに雪に慣れているはずの北の民も
歩くのだって、簡単ではない。
他のお宅では、雪が治まったのを見て、駐車場の雪かきが盛大に始まっている。
しかし、まずは通りに面した歩道側から雪かきを始めよう。
通行人は、ほんのわずかの間だけ、この教会の前だけでも
安心して歩くことができるだろう。よいしょ・・・よいしょ。
(え? この時間に?)
通りかかったのは、中学の制服を着た男子。
ずいぶん遅い登校だこと。
「・・・ありがとうございます。」
(もしかして 私に言った?)
すれ違いざま。タバコの香り。まぁいいか・・・。
「どうぞどうぞ。」
次に通りかかったのは、派手な車をどこかに置いたパーマ屋の兄ちゃん。
「あざーす。」
(この間は、駐車場の件で、ちょっとトラブったね)
「どうぞどうぞ。」
最後に通りかかるのは、近所でも変人で有名なおばちゃん。
やっぱり今日も、変わった格好で登場する。
「んも あひはほへ。」
(おばちゃん 前歯 全部 どこいったん?)
「どうぞどうぞ。」
あなたも きっと できるでしょう。
誰かに何かを感謝すること。
クリスマスは、誰かに何かを感謝するチャンス。
誰かに何かについて「ありがとう。」を伝えるチャンス。
そして、あなたも きっと できるでしょう。
「どうぞどうぞ。」と言ってあげること。
だって クリスマスだもの・・・。
「すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
(テサロニケ第一の手紙5章18節)
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと。
もしも、あなたが
もしあなたが、この画面をゆっくり読んでいる時間があるなら
もしかすると、この先の文章はあまり意味がないかもしれません。
もしあなたが、ゆっくりと椅子に腰掛けて、お茶を飲みながら
この画面を見ているとしたら、
夜ゆっくり休む前の、ゆったりした時間に
この画面を見ているとしたら
今日やるべきことのすべてが終わって、
この画面を見ているとしたら、
他にもたくさんよい文章が載っているところがありますから
どうぞ、そちらをご覧下さい。
でも、もしあなたが残業終わりの電車のホームでこの画面を見つけたら
病院の待合室で診察を待つ間に、この画面を見ているなら、
やっと寝てくれた子供の寝息を確かめながら、この画面を見ているなら
そういうあなたのために、次の文章はたいせつなことを言っています。
「しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。」
ルカの福音書5章16節
これはイエスキリストが、休みをとったことを意味している言葉です。
「神の子が疲れるの?」
まぁ、そういうことはさておいて、大事なのはタイミング。
大きなことをした後で、たいせつなことをする前に。
休むことはたいせつ。そして、そのタイミングも。
どうか、あなたの時間がゆっくりと過ぎていきますように。
・・・・おや? 看護師さんがあなたの番号を呼んだみたいですよ。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと
「下巻」だけ
私の部屋に、一冊の本があります。
「下巻だけ」。
誰かにもらったのか。
どこかの古本屋さんで見つけて「あとで上巻も買おう」と思ったのか。
とにかく「下巻だけ」
「上巻のあらすじ」はついていません。
下巻だけを読めば
結論だけをすぐに読むことができます。
(とくに、この本はサスペンス小説なので、
事件の詳細はともかく、犯人がすぐにわかります)
上巻を読む手間と時間の節約になる。
上巻を置く本棚のスペースはいらない。
面倒な証拠集めはいらない。
いいところばかりだと思いますか?
・・・そうではありません。
どうしてここまでたどり着いたのか。
どういう経過ででここまで来たのか。
(少なくともどんな事件が起こって、犯人を追うことになったのか)
何がどうなったのか。それまでのことも重要です。
あなたの人生もそうであって、
結論だけを急ぎすぎていませんか。
早く、手軽に、犠牲を払わずに、問題が解決してほしい。
準備や訓練をなくして、簡単にできる程度の人生であってほしい。
途中経過も、あなたの人生の大切な宝なのです。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ人への手紙8章28節)
ちなみに、この「下巻だけ」のサスペンス小説には、「中巻」もあるようです。
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと。
藤色の手さげ
それは、ずっとそこに置いてありました。
置いてあったのか、忘れられているのか。
藤色の小さな手さげ袋。
道路のはしの、ガードレールの支柱の下に。
「うっかり置き忘れた」のか「棄てられたまま」なのか。
何回か、その道を通ることがありました。
そのたびに「あ、まだ置いてある・・・。」
「いつか取りに来る」のか「そのままにしておく」のか。
中身は、何でしょう?
いえいえ、恐ろしくて、とてもとても。
「あんなもの」や「こんなもの」だったらどうしましょう。
うっかり、中身を確認しようとして
「それは私のです。あなたは泥棒ですか?」と、
訴えられたらどうしましょう。
ある時、そこを通りかかってみると、
それはもうありませんでした。
「持っていかれた」のか「思い出した!」のか。
藤色の手さげ袋は、もうありません。
あなたの人生にも、きっとあると思います。
ずっと気になっていること。
ずっと心配なこと。
ずっと心に重たくのしかかっていたもの。
そんなものも、ある時気がつくと、
「いつの間になくなっていた!」
かならず、そういう日が来ます。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」 詩篇55篇22節
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと。
ほんとうを言えば
ゆうまくんは、みなとくんが好きです。
みなとくんのように速く走れたらいいなと思います。
(ほんとうを言えば、みなとくんのはいている靴がかっこいいと思っています。)
みなとくんは、やまとくんがいつも持ってくる「キャラ弁」がうらやましいと思います。
(ほんとうを言えば、毎日「ウケるキャラ弁」を作ってくれる、やまとくんのお母さんが好きです。)
やまとくんは、ゆうまくんのようにサッカーがじょうずになればいいと思っています。
(ほんとうを言えば、自分にもゆうまくんと毎日サッカーをしているゆうまくんのおにいちゃんのようなおにいちゃんがいたらいいなと思っています、)
他の人と自分を比べたところで、ほんとうは何かがよくなるわけではありません。他の人と自分を比べて、あちらの方がいいとか、こちらの方が優れているといっても、何かが変わるわけでもありません。
神様は、あなたを世界でたったひとつのたいせつな宝物として造りました。あなたの他に代わる人はいません。あなたには、他の人にはないすばらしいものが、どこかに必ずあるんです。
ほんとうを言えば、神様は決して「不良品」を作ったりしないんです。
「あなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」(テモテ第二の手紙1章6節)
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと。
大きな旅行バック
私は、旅行や出張に行く時に持っていく旅行バックが、どうしても大きくなってしまいます。たとえ二泊三日程度の小さな旅行でも、「用意周到」の称号を獲得したいのです。
はい。そうですね。わかっているつもりなんです。
今、日本国内の旅行であれば、そんなに大きくなくても大丈夫なんです。
最近、日本国内のホテルや旅館は、それなりにどこでもサービスが行き届いています。
だから二泊三日程度なら、「ヘアードライヤー」は持っていかなくてもいい場合があります。
少なくとも、「ヘアードライヤーに使うための延長コード」は持っていかなくていいでしょう。「爪切り」を持っていきたい気持ちを、わかってくださる方は多いでしょう。でも、出かける前に少し手入れをしておけば、少なくとも「爪切りが見当たらなかった時の場合の予備の爪切り」は、要らないと思います。そして、「歯ブラシ」。「普段使っているもの」「先回の宿泊の際に頂いたもの」に加えて、「先々回の旅行の時に頂いたもの 2本」。そして・・・・。これは・・・いつのでしょうか?
あなたの人生の旅でも、同じことがあるかも知れません。「用意周到」を獲得するために、準備をすることはたいせつですが、「心配と不安」は、もう半分ぐらい家に置いて出かけることにしましょうよ。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(ペテロ第一の手紙 5章7節)
あなたもきっと大丈夫。・・・・・きっと。